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信仰は奪えるか?~『死闘』を読んで~

3月4日、東京高裁は、昨年3月に東京地裁が世界統一家庭連合(旧統一教会)に対して解散を命じた決定を支持し、教団の即時抗告を棄却しました。

後藤徹氏の自伝『死闘』は、旧統一教会の信者である著者が、家族から12年5か月(4536日)もの間、「保護・説得」という名の「拉致監禁」「強制棄教」を受けた体験を記したものです。

当時は、オウム真理教による地下鉄サリン事件などが起きており、宗教に対する社会の警戒心が強い時代でした。
そうした背景の中で、両親や兄妹、さらに「脱会屋」と呼ばれる人たちが、著者に信仰を捨てさせようとします。

そのために彼らが取った手段は、マンションの高層階の部屋に著者を監禁することでした。
家族が常に複数人で見張りをし、玄関には鍵がかかっていて外出はもちろん許されません。
著者がインフルエンザに罹患して高熱に苦しんでも病院には行かせてもらえず、著者を監禁した家族の一人である父親が亡くなった際にも、著者は通夜告別式への参列を許されませんでした。

私だったら、部屋で自重筋トレ(カリステニクス)をして、家族を全員なぎ倒してでも外に出ますが、著者は、家族に暴力を振るうことは絶対にしないと心に決めていたそうです。

著者がハンガーストライキを行っても家族は動じず、むしろ、彼が生命の危険を感じてストライキを止めると告げても、その後まともな食事を与えられませんでした。
彼は、家族の目を盗んでキッチンで生ごみを漁って食べていたそうです。
また、周囲の住民に監禁されていることを伝えよう大声を出すと、家族から布団を被せられて窒息しそうだったと述べています。

まさに、『死闘』。

31歳から44歳までという人生の大切な時間を奪われた著者は、解放された後に刑事告訴をしますが、嫌疑不十分で不起訴となり、検察審査会に申立をするも「不起訴相当」の判断が下されます。

それでも、著者は、今度は民事訴訟を提起し、刑事告訴からを含めると約7年に及ぶ法廷闘争の末に全面勝訴しました。
その年、統一教会信者の拉致監禁被害はゼロになったそうです。

人はときに、自身の価値観を絶対的に正しいものと信じて疑わず、その"正しい"価値観をどんな他人とも共有できるという無邪気な幻想を抱きます。
その相手が家族であれば、なおさらです。

しかし、たとえ家族であっても、それぞれ価値観や信じるものは違います。
家族であっても一生分かり合えないことなんて、あるに決まってます。
そこに無遠慮に踏み込むべきではありません。
他人の信仰を力づくで変えるなんてできるわけないし、そんなことみんな本当は分かっているはずなのに。
それでも、家族のこととなると、「愛情」や「甘え」や「責任」によって、見境がつかなくなることがあるのかもしれません。
家族って、厄介ですね。

私は旧統一教会の教義の中身について詳しく知っているわけではありません。
しかし、著者が長い監禁生活の中で正気を保ち続けることができたのは、彼に信仰があったからではないかと感じました。
現在の著者のお姿をYouTubeなどで拝見しても、どこか飄々としていて、家族に対する強い恨みは表面上あまり感じられません。
そこに、信仰の持つ強い力を感じます。

皮肉なことに、著者を拉致監禁した家族の行為は、少なくとも著者にとって、宗教の教義の力、信仰の力がいかに大きいかを、結果的に証明してしまったのではないでしょうか。

著者を監禁した家族は、裁判所から自分たちの行為が違法であったと認定されて、現在、当時をどう振り返っているのでしょうか。
それでもなお、自分たちの行為は道義的に正しかった、やむを得なかった、と思っているのでしょうか?
まさか、著者を救えなかったなんて思ってないでしょうね?

出来ることなら、12年5ヶ月とその後の7年間にわたる、彼の家族の「手記」も読んでみたいと思いました。

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