昨日(8月4日)の西日本新聞のコラムにこんな記事が掲載されていました。
イチロー氏が野球殿堂入り表彰式の前日、故仰木彬氏について触れ、「人生は人との出会いで決まっていく。どれだけ感謝してもしきれない。」と述べた。
仰木氏は、監督として、「トルネード投法」の野茂英雄氏、「振り子打法」のイチロー氏の個性を認めて自由にやらせ、その結果二人はメジャーでもその個性を存分に発揮して成功を収めた。
平均化を排した仰木流は古びない。これは、野球やスポーツに限った話ではない。
この話には続きがあるように思います。
栗山英樹監督と大谷翔平選手のエピソードです。
大谷選手がプロ入りする際、ほとんどのプロ野球解説者は、「投手か打者、どちらかに絞るべき」「両方やらせるなんて無茶だ」「プロを舐めるな」と一斉に苦言を呈しました。
それでも栗山監督は大谷選手に二刀流を貫かせました。
自らがプロフェッショナルであればあるほど、価値観は強固で、自分なりの理論も確立しているはずです。
それにもかかわらず、二人の監督は、自身の考えを選手に押し付けることなく、選手たちの可能性を潰すことをしませんでした。
それどころか、選手の盾になって彼らを守りました。
その謙虚さと懐の深さは、本当にすごいと思います。
私には、5歳と2歳の二人の娘がいます。
まだ幼いので、親として道徳やマナーといった基本的な価値観は伝える必要があると思っています。
でも、これから彼女たちが成長していく中で、親の想像をはるかに超えた突飛なことを始めたり、それをあっさりやめたり、変な男と付き合ったり、そいつと別れたり、意味不明なことを宣言したり、逆に全く喋らなくなったりする日が、きっと来るでしょう。
そういうときに、私たち親に理解できないことでも、彼女たちなりのビジョンがあると信じてあげたいと思います。
自分たちに理解できないからといって、それを否定するようなことはしたくないと思います。
彼女たちの思うようにやらせて失敗したとしても、というかむしろ、失敗させてあげることこそが親の役割なんじゃないかとさえ思います。
娘たちにはこれからどんどん失敗して、痛い、悔しい、情けない、恥ずかしい思いを、山ほど味わってほしいです。
そして、平然と困難なことに挑戦することができる、失敗した人の気持ちにも寄り添える、勇敢で優しい女性になってほしいと願います。
私は、自慢じゃないですが、司法浪人を15年以上続けました。両親はそれを黙ってずっと応援してくれました。
自分が親になってみて、その長い年月は、父と母にとって、本人以上に苦しく歯痒かっただろうと想像します。
私も、娘たちが傷つきながら、苦しみながら、成長していく姿をずっと見守り続けたいと思います。
そして、彼女たちのドリームキラーにならないように、邪魔にならない存在でありたいと思います。