今朝(1月6日)の西日本新聞に珍しい記事が掲載されていました。
昨年の12月に長崎地裁佐世保支部で行われた刑事裁判において、検察官が被告人に対して「無罪」を主張する論告を行ったというものです。
被告人を起訴した当人である検察官が自ら敗訴を認めるこの行動。
検察官は、負けを認めるくらいならなぜ公訴を取り消さなかったのでしょうか?
今回の検察官がそれをせず、あえて最後まで裁判を続け、判決による「無罪」を求めたのには理由があります。
「公訴取消(刑事訴訟法第257条)」と「無罪判決」の違いがその理由です。
加えて、民事事件と異なり、検察官は刑事裁判の一方当事者であると同時に「公益の代表者」としての役割を担っていることもその理由の一つといえます。
「公訴取消」と「(確定)無罪判決」の最大の違いは、憲法第39条が保障する「一事不再理(いちじふさいり)」の効力です。
• 公訴取消の場合:
後で新たな証拠が見つかれば、理論上は再起訴が可能です。被告人は「また訴えられるかもしれない」という不安を将来に残すことになります。
• 無罪判決の場合:
一度判決が確定すれば、国家は二度と同じ事件でその人を裁くことはできません。これが一事不再理です。
検察官があえて無罪論告を行い、裁判所に「無罪判決」を書かせることは、被告人に対し、二度と本件であなたを追及しませんという安心を被告人に与えたことを意味します。
それからもう一つ重要なのが、補償の問題です。
無罪判決が確定すると、国は被告人が拘束されていた期間に応じて補償金を支払わなければなりません(刑事補償 憲法第40条)。
「公訴取消」でも補償が認められるケースはありますが、無罪判決であれば、国が誤っていたことが明確になり、補償手続は格段に進めやすくなります。
本件は、被告人が当初から否認していたとすると、交通事件とはいえ一定期間身柄拘束を受けていた可能性は高いでしょう。
被告人の名誉回復と経済的な償い。
これを確実なものにするためには、「公訴取消」ではなく「無罪判決」が必要だったのです。
そして、今回の舞台は長崎地裁佐世保支部。
福岡市のような大都市と違って、捜査を担当した検事がそのまま公判も担当している可能性が高いです。
そうだとすれば、「自ら起訴した事件」について、担当検事は誤りを認めた上で、被告人に「完全な自由(一事不再理)」と「補償」を与える道を選んだといえます。
本事案は、時速14kmで信号待ちの車に追突し、2週間の怪我を負わせたというもの。
仮に有罪となったとしても、初犯であれば執行猶予となる可能性が高かったのではないでしょうか。
そうであれば、罪を認めて早期に裁判を終わらせ、社会復帰を優先するという妥協も、弁護人によっては検討され得る方針だったと思います。
しかし、本件の弁護人は、依頼者である被告人の声に真摯に耳を傾け、約一年間という長期に及ぶ戦いに寄り添い続けました。
担当検事に対しては、当初の捜査が不十分であったとか、裁判の見通しが甘かったといった批判もあるでしょう。しかし、裁判の過程で自らの過ちを認め、無罪論告を行ったことは「公益の代表者」としての役割を果たし、「冤罪を防ぎ被告人の権利を守る」という刑事司法の機能を実現したものとして評価されるべきだと考えます。
最後に、記事では被告人のコメントも紹介されていました。
起訴後にてんかんと診断され、事故時に発作を原因とする意識障害を起こしていた可能性があったとされる被告人は、それでも取材に対して、「責任は自分にあり、被害者に申し訳ない」と謝罪したとのことです。
本件の無罪判決は1月28日に言い渡される予定です。