春ですね。
昨日、Gackt氏(1973年7月生まれ・タメ)が、Xで、「春」という漢字を分解すると「二人の一日」になると紹介したうえで、
誰かと並んで歩けること
それだけで世界は光り輝く
その「二人」は
未来の自分でもいい
とポストしていて、一応Likeしときました。
タメだし。
他方、「二人」で、これ以上「一日」たりとも過ごしたくない、と思うようになった夫婦にとっては、この4月に改正民法が施行されたことは大きな関心事だと思います。
最近、共同親権制度についての相談を受けることが多くなりました。
改正された制度のポイントは、
① 選択的であること
② 共同監護(養育)とは異なり、あくまでも「親権」の問題であること
(進学先や進路の決定、多大な医療行為といった「重要事項」についての同意の要否の問題であること)
だと思います。
この制度については現時点でもさまざまな評価があります。
私は、離婚はあくまでも夫婦の問題であり、それにもかかわらず、離婚によって必ずどちらか一方の親が子に対する親権を失うという従来の制度は、やはり不合理だと思います。
その意味で、選択的とはいえ共同親権が制度として認められた点は、基本的には評価できると考えます。
もっとも、離婚した夫婦の成熟度合や、それぞれの当事者の子どもとの関わり方は千差万別です。
法律や制度は万能ではありません。
個別の事案において、常に、適切かつ柔軟に対応できるわけではない以上、裁判所(審判官・調停委員・調査官)や代理人弁護士の役割は、今後ますます重要になると感じています。
共同親権の問題を考えるにあたり、さまざまな文献に目を通す中で、ある本にフランス映画
『ジュリアン』(監督:グザビエ・ルグラン)が紹介されていたため、先日鑑賞しました。
とても怖い映画でした。
以下、ネタバレを含みます。
(※離婚事件の代理人になる立場の方は必見です。何の予備知識もなく観れば、おそらく半数の方はミスリードされます。)
『ジュリアン』は未成年の男子で、その親権をめぐる離婚調停の場面から物語は始まります。
私は普段、男女いずれの側の離婚事件も半分ずつくらい受任していますが、この調停シーンでは、無意識に男性側代理人の視点で見ていました。
なので、作中で男性側の主張する「共同親権」を裁判所が認めた場面では、
「ああ、よかった」と感じました。
しかし、物語が進むにつれて、その男性の本性が明らかになっていきます。
というか、「愛情ゆえの執着」や「変えられないものに対するもどかしさゆえの強引な態度」が、徐々に表に出てきてしまいます。
面会時にジュリアンから無理やり居住地を聞き出し、居場所を秘匿していた元妻のもとへ押しかけ、「俺は生まれ変わった」と泣きながら元妻を抱きしめたりしてしまうんです。
そのときの妻と、それを傍で見ているジュリアンの表情は完全に凍りついています。
主人公は、すでに妻にも息子にも見放されているにもかかわらず、自分だけが「まだ元に戻れる」と信じています(信じようとしています)。そして、そのような行動が、余計に家族の心を閉ざしてしまうことを分からないほど自分を見失っています。
結局、最後は…。
この映画の恐ろしさは、
妻や子どもから拒絶された男性が、徐々に自己を見失っていく過程がリアルに描かれている点にあります。
正直なところ、私自身もし妻が子を連れて別居し、娘たちと長期間会えない状況になれば、正気を保てる自信はありません。
そう思わされるところが怖いんです。
共同親権制度制定の背景にある、いわゆる「子の連れ去り」は、
連れ去られた親にとっては「拷問」であり、
突然一方の親と会えなくなる子どもにとっては「虐待」ともいえる側面を持ちます。
他方で、そのことを理解しながらもなお、そうせざるを得ない状況に追い込まれている親が、現実に存在していることもまた事実です。
『ジュリアン』はあくまで一つのケースで、しかもフィクションです。
しかし、そこに描かれているのは「現実」です。
この映画を観て、「だから共同親権は危険だ」と短絡的に結論づけるのは適切ではありません。
すべての親は子どもに対して愛情を持っています(少なくとも私はそう信じます)。
『ジュリアン』の父親も例外ではありません。
共同親権制度を含む親権の問題は、「子どもにとって何が最善の選択か」という、繊細で個別的な判断を要します。
共同親権については、離婚した夫婦双方が必ず関わる点で、無理ゲーな面があることは最初から分かっていて、それでも、「命よりプライドより大事な子どものために、離婚した夫婦は大人の対応をしろ!」ということで制定されたものだと、私は理解しています。
(もちろん、DVや虐待が認められるケースは論外だし、そのような親が親権を奪われるのは当然の前提です。)
共同親権制度は始まったばかりです。
形式的な制度論にとどまらず、個々の家族の実情に真摯に向き合い、子どもの視点を見失わないこと
が何より重要だと考えます。
その中で、弁護士が果たす役割として、
当事者の感情の奥にある「見えていないリスク」をすくい上げ、これに対処すること
「夫婦の問題」と「親子の問題」を切り分けて考えることができるように、当事者の感情に寄り添いつつも、子どものための行動を促し続けること
そういった役割が求められるのではないかと感じています。
Gackt氏が言うように、春は「誰かと並んで歩けること」が光になる季節なのかもしれません。
その「誰か」が、子どもにとって安心できる存在であり続けるために、制度だけでなく、関わるすべての大人の成熟が問われています。
※ちなみに、当事務所では、離婚事件において養育費(婚姻費用)に関する「報酬金」は頂戴しておりません。養育費及び婚姻費用の一部はお子様の生活にかかる費用でありその中から弁護士が報酬を受け取るべきではないと考えるからです。