「結婚は人生の墓場だ」と、どこか皮肉っぽく語られることがあります。
けれど、私は11年間、弁護士として幾度となく離婚事件に携わってきて、
本当にそうだろうか?と疑問に思うのです。
夫婦の関係がこじれ、離婚を望むに至るまでには、当然ながらさまざまな事情があります。
浮気や暴力、価値観の不一致、経済的な問題…
けれど、実はその背後には、「伝えられなかった思い」や「飲み込んできた言葉」の積み重ねがあることも多いのです。
離婚事件の中には、
言葉一つで避けられたかもしれない対立、
ほんの少しの歩み寄りで解けたかもしれない誤解、
そんな「もつれ」によって、争いが激化してしまったケースが少なくありません。
そして何より辛いのは、
その争いのなかで、子どもたちが傷ついていく現実です。
そして、そのことは、争っている当事者夫婦自身が、誰よりも一番、痛いほど分かっているんです。
そうした姿を目の当たりにして、思います。
家族とは「自分の正しさを押し通す場」ではなく、
「不完全な他者を受け入れるための場」なんじゃないかと。
私は昭和生まれの九州男児なので、さだまさしさんの「関白宣言」という歌が好きです。
「関白宣言」にこんな歌詞があります。
『お前のおかげでいい人生だったと俺が言うから。必ず言うから。』
人生の最後に、心からの感謝を伝える相手がいること。
それは、何よりも尊く、美しいことだと思うのです。
もちろん、現実の夫婦関係にはさまざまな困難があります。
時には離れるという選択も必要です。
もうこれ以上我慢できない。無理!ふざけんな!!
実際に当事者間の具体的な紛争の実態をいくつも目の当たりにしてきたので、その気持ちはよく分かります。
けれど、たとえ別々の道を歩むとしても、
お互いを否定し憎しみ合うのではなく、
「この人と一緒に過ごした時間が、あってよかった」と少しでも思えるような別れ方をしてほしいと、心から願っています。
夫婦とは、家族とは、完璧じゃなくていい。
ただ、少しでも「いい思い出」と「感謝」が残る関係であってほしい。
綺麗ごとかもしれないけど。
そう思います。