2026年2月28日、アメリカがイランを攻撃し、イランの最高指導者ハメネイ氏が殺害されました。
小泉進次郎防衛相は、記者からの「今回の米国の軍事行動について、大臣として支持するのか」との質問に対し、「国際的な核不拡散体制の維持のためにも、イランによる核兵器開発は決して許されない」と述べ、政府としてアメリカを支持する立場を示しました。
また、高市首相は、予算委員会において、共産党の田村智子委員長から「各国の主権の尊重、武力行使の禁止は国連憲章、国際法の大原則だ。主権国家への先制攻撃や国家体制の転覆が認められれば、戦後の国際秩序は崩壊する。米国とイスラエルに攻撃の中止を求めるべきではないか」と問われたのに対し、「自衛のための措置かどうかを含め、詳細な情報を持ち合わせていない。我が国として法的評価は差し控える」と答弁しました。
日本保守党の参議院議員である北村晴男弁護士はXで、「イラン・ファシズム政権が終わり、国民が自由で豊かな日常を取り戻せるかもしれない」「弾圧に苦しんできた人、とりわけ女性が解放されるかもしれない」と投稿しています。
しかし同氏は、2020年10月に、中国軍機が台湾防空識別圏に接近した際、「力を背景とした一方的な現状変更」を「侵略」であると批判していました。
同じ日本保守党の島田洋一議員も今回のアメリカによる攻撃を支持していますが、他方でこれまでロシアによるウクライナ侵攻は強く非難してきました。
トランプは結果として人を殺しています。
自ら手を汚すことなく、ピンポイントの空爆で
ゲームのように
「民主主義」のためなら、他国がその国の指導者を殺してもいいんでしょうか。
弾圧されている女性を解放するためならいいんでしょうか。
核兵器を開発している国の指導者であれば殺してもいいんでしょうか。
他国の伝統や文化を無視して、自分たちの価値観を押し付けていいんでしょうか。
これまでもアメリカは、フセイン、カダフィ、ビンラディンらを殺害してきました。
彼らの評価は人それぞれでしょう。
しかし、圧倒的な暴力によって他国の指導者を「排除」することは、本当に正しいことなのでしょうか。
シーア派にはシーア派の、スンニ派にはスンニ派の伝統や文化があり、各国の指導者たちには彼らなりの「正義」があったのではないでしょうか。
北村氏や島田氏だけではなく、日本のいわゆる「保守知識人」の中には、中国やロシアが同じことをすれば非難する一方で、アメリカのやることであれば支持をするという、ダブスタと言われても仕方のない人たちが多くいます。
なぜそうなるのか?
「自由」「平等」「基本的人権」「民主主義」「法の支配」のためなら、何をしても許されるのでしょうか。
「民主主義」を民衆の手に取り戻すためにその国の指導者を殺すって、究極の自己矛盾じゃないですかね?
自分たちが信じている「正義」が絶対的な「正義」だと信じて疑わない。
傲慢過ぎやしませんか?
「独裁国家で弾圧されている人々を見殺しにするのか」
「失政によって子どもたちが飢え死にしている国の民衆を見捨てるのか」
そう問われると、正直どうすればよいのか分かりません。
でも、それって、「世界中の貧困や飢えや弾圧や不条理に苦しむ人々をすべて救えるのか」と問われているに等しい。
「国際法には強制力がない。プラグマティズムの観点から、力による現状変更は時にやむを得ない」
確かに、もっともらしい議論です。
でも、そんなに単純に割り切れる話なんですかね?
結果的に状況が良くなったかどうかは誰がどういう基準で決めるの?
どんな理由があるにせよ、暴力によって他国の指導者を排除することは間違っていると、私は思います。
そして、その点を明確に指摘しない、アメリカに抗議しない、我が国の政府は情けないと思います。
82兆円もアメリカに投資してあげるんだから、ちゃんと言うべきことを言えよと思うのは私だけでしょうか。
SNSでハメネイ氏の死を喜ぶ市民の映像が流される一方で、イラン国営放送のキャスターは、ハメネイ氏の死を伝えながら号泣していました。
少なくとも、これは「正義」対「正義」の衝突だということ、この世界には自分の価値観にそぐわない「正義」が存在すること、圧倒的な力を持つ側の「正義」が他方の「正義」を、まるで蚊でも叩き殺すように踏みにじったこと。
その現実を直視して、葛藤しながら考え続けないといけないのではないかなと思います。